店長日記
山崎ハコ
2019年08月09日
長崎原爆投下の日
謹んで追悼いたします
父の大分勤務が長かったので 別府で生まれ高校卒業まで別府で育った
父方は熊本市内 父方の祖母の方も熊本県(宇城市不知火町松合)
母方は今は長崎市の三和町蚊焼
その関係で母方の親戚は長崎県が多いが 原爆の被害には幸いあっていない
あまりその話も聞いた事はないが 母がちらっと言ったことがある
「遠くに光が見えた」と
その時は長崎県北の江迎町えむかえまちせんりゅう)の炭鉱で事務をしていたらしい
長崎にはあまり行かなかったが 保育園か幼稚園のころ行ったときは 叔父の漁船に乗せてもらい
端島(はしま)を間近に見せてもらった覚えがある
1974年(昭和49年)の閉山だから この時は現役の鉱山だったはずだ
軍艦島の名の通り高いビルが艦橋のように見え 小学校に満たない私は
「マンハッタンのようだ」と言ったそうだが 未だにマンハッタンなど行ったこともない
ちなみに潜龍も端島も応募工の方々がこの時も働いていたかと思う
炭鉱の歌
山崎ハコ 織江の唄
https://www.youtube.com/watch?v=hOGUHjdDPek
ちょっと涙が出る
今はギターの安田さんと結婚して幸せに暮らしているらしい