店長日記
別府大仏
2019年11月07日
【別府大仏】
昔、昭和40年代、大分県別府市西野口町に貸し本屋さんがありました(うちですけど)
上がって今もある床屋さんの角を右に曲がって富士見通りを渡ると
母親が買いカゴを持って行っていたマルショク
そこから天満神社までが子供心にはGINZAのようだった天満の商店街
その中ほど山よりに位置した『別府大仏』
写真2枚目の最後の写真のように大仏さんの手のひらあたりに立てました
もう少し上の左の肩の下辺りだったと思いますが
大仏さんの中に入れました
薄暗い中ろうそくかあめ色の電球かがうっすらと灯っていて
おばあさんが案内してくれたのを思い出します
たしか拝観料10円だったような!?
以下は引用になります
*****************
とし博HOME > 別府ナポリ > 別府の絵葉書 > 名所> 別府大仏
http://toshihak.lolipop.jp/beppu/p1310.html
より画像引用
写真1枚目最後の写真はスゴいですね!
いつの写真なんでしょう!?
昭和初期!?いや建立時の大正14年頃かも知れませんね!!??
*****************
株式会社江川 > お知らせ >別府大仏!!こんなん、あったとは知らんかった。(笑)
http://www.egawa-pumping.com/archives/3061
より画像と本文引用
『像高24mの鉄筋コンクリート製の阿弥陀如来の大仏で、コンクリートに遺骨や遺髪を混ぜた骨仏である。
蓮華座の内部が三層構造になっており、1階には戒壇巡りと大ホールが設けられ、2階には三十三観音、八十八ケ所の写し霊場があり、3階には不動明王、薬師如来、大日如来、双子権現、文殊菩薩、善光寺菩薩などの6体の仏像が祀られていた。
1989年(平成元年)に解体されており、現存しない。
建立の経緯・歴史
大分県を中心に活躍していた実業家岡本榮三郎によって建立された。岡本は出家し、榮信と名乗ると、1925年(大正14年)に大仏建立計画を発表。1928年(昭和3年)、落慶法要を迎えた。
榮信は、大阪天王寺の坂松山高岳院一心寺の骨仏にいたく関心を寄せており、大仏に一般から募った多くの遺骨・遺髪を混ぜたコンクリートで制作した。作仏は、文化功労者山崎朝雲の高弟、入江爲義による。榮信は、大仏を本尊とした榮信寺を開山し、自らその住職となった。
別府大仏はその落慶と同年に開始された地獄めぐり遊覧バスと並んで別府の新名物となり、榮信寺は参詣者でおおいに賑わった。当時の絵葉書には「東洋一を誇る大佛」と紹介されている。しかし、露天のためか、コンクリートの風化が激しく、昭和40年代に内部拝観が停止され、老朽化のため1989年(平成元年)に解体された。
現在、跡地は別の寺院の墓地となり、お堂に大仏の1/10スケールの原型仏が祀られている。』